パジリク絨毯の文様について
●パジリク絨毯の発見 ~死者への贈り物~
現在最も有名な絨毯はこのパジリク絨毯ではないでしょうか?
1949年南シベリアのアルタイ山中のパジリク渓谷でロシア人の考古学者ルデンコによって発掘された2mx1.89mの絨毯は、氷のなかにサンドイッチのように入っていたため、パイルの状態など保存がとてもよく、それまでの絨毯研究に衝撃を与えた歴史的発見となりました。
 パジリク絨毯 |
 パジリク絨毯(復元図) |
パジリク絨毯(復元図)スキタイ族の部族長の墓から出土したこの絨毯は、その後の調査でなんと2500年前のものということがわかったのです。日本の埴輪などと同様に族長の死後にも、快適な生活を願い埋められた物なのでしょう。
シベリアという気候から、堅い氷の中に閉ざされていたため墓泥棒や酸化などの風化から2500年も守られてきたのです。
この奇跡的な発見にはいくつかの偶然が重りうことで起こったと考えられています。
スキタイ(ギリシア語)=サカ族は黄金を用いた装身具を製作したことでも有名ですが、族長の古墳にはそうした金製品が埋蔵していたと考えられます。
墓泥棒が侵入し墓に穴を開けた、その後大雨が降りその穴から大量の雨水が流れ込み、シベリアの寒さで凍結した。
いくつかの偶然が重なることで、冷凍保存が自然的に行われたと研究者の間で考えられています。
同時にフェルト製の馬具、装飾品発見されました。美術的にも大変素晴らしい世界が2400年前に存在していたことが伺えます。
この絨毯の文様の面白さは、周りを取り囲む28頭の馬に乗った人のモチーフです。
 馬に乗る人々(鞍に違いがある) |
 ペルセポリス遺跡のレリーフ(アケメネス朝イラン) |
また、その内側にある立派な角のトナカイと中央部分の繰り返しの花弁のようなモチーフです。
発見者であるルデンコを始め、発掘当時は同時代のアケメネス朝ペルシアの伝統にそったものと考えられていました。
確かに中央部分のモチーフはイラクのニネヴェア遺跡の石のレリーフに近く、馬に乗る人々もペルセポリスのアパナダ遺跡(公式会見の間)のダァリウシュ王への貢物を届ける行列に似ています。
しかし、その後の研究により当時この地域を支配していたと見られるスキタイ族=サカ族の族長ためにどこかの遊牧系部族によって織られたのではないかという説が有力になっています。現在はセントペテルグブルグにあるエルミタージュ美術館に保管されていますが、予約していかないと実物を見ることは難しいようです。特に最近では絨毯を所有しているロシア系の研究者達の間でトルクメン族が絨毯の製作に深く関わったのではないかという論文が発表されています。この研究は素材および、染料の化学分析、また織りの構造に関する分析などです。
1960年以降中央ユーラシアの草原の遊牧民研究が盛んになるに従ってこの地域でスキタイ族の高度な文化が見直されたこともあります。
部族絨毯研究家のブライアン・マクドナルド氏はこの絨毯のデザインはアケメネス朝の影響を受けたことは疑いないが、当時中央アジアには高度な絨毯を織る工房があり、この絨毯を彩る紫がかった赤の色が茜ではなく、ケルメス染料によるものであることがその証拠であるとしています。このケルメスによる染色は当時栄えていたイラン高原のものでなく、より北方の草原地帯のものであるというのです。
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 フェルト製の装飾品(馬に乗るサカ族) |
 フェルト製鞍 |
また絨毯研究界の大御所である、イギリス人のJ.Tompson氏とドイツ人のH.Bommer氏も染料の科学的分析によりペルセポリスなどのイラン南部ではなく北方騎馬民族系の人々によって織られたののではないかという見解を示しています。同時にかなり高度な技術で織られていることから定住した職能的技術を持つ人々によって献上品として織られたのではないかと考えているようです。
確かではないのですが、アレクサンダーの末裔ともいわれる、コヒスタン地方の山岳部族やアフガニスタン北部のトルクメン族が多く住む山岳地帯の地帯の小さな村などでも、つい最近までケルメス染めが見られたという話があるようです。
また、ジェームス・オピエ氏もサブボーダーに描かれているトナカイの表現がルリスターンの青銅の鹿のモチーフに似ていることから、遊牧系部族達の発想によるものではないかと想像しています。
ボーダーにはトナカイもしくは鹿の脇腹の部分に特徴的なパターンが見られますが、これらは部族的な感性を持つ人が描く動物像ではないかと考えているのです。

トナカイとファロー鹿
また注目すべきモチーフは、メインボーダーの馬と人です。フェルトと思われる鞍掛けが丹念に描かれていますが、この鞍掛けの文様が一頭ずつ微妙に違っていて様々な部族を象徴的に表しているようにも見えるのです。

馬に乗る人々(ボーダー部分)
現在にいたるまで部族の毛織物においても、サドルバックなどに象徴的な部族の文様を見ることができます。
この絨毯は10平方センチに約3,600ノット(対象結び)を数える細かい技術の高さと洗練された装飾性をもっています。
つまり、パジリク絨毯の発見はそれ以前から高い芸術性と技術を持った絨毯文化があったことを証明してくれたのです。