部族の毛織物 ≪紋様の意味を知る≫1.

部族の毛織物<モチーフ・文様編>

文様については、最も興味のある世界なのでじっくりと取り組んでゆきたいと思っています。
文様の発祥、成り立ち、伝播なのか共時的に発生したのか知れば知るほどに奥深い世界だと思うようになりました。
また、現代の最も進んだ様々な科学の世界と古くから地球上に生活してきた先住民族や部族の人たちの知恵はとても近いところにあるのではないかとも
考えるようになりました。科学がここまで進んでも超えられない時空の壁や4次元の物理的世界と私達の良く知る「空飛ぶ絨毯」の関係・・・。
このところ最も進んだといわれる脳の分析や脳内物資に影響を及ぼす可能性を秘めた絨毯の文様世界。
何処まで広がるかわからない深みですが、少しづつ掘り下げ絨毯がいかにして空を飛ぶことが出来るかに迫りたいと願っています。

シャーセバン動物紋様

スタートするまではこれまでの記事を紹介します。

●ボテ(ペーズリー文様)
ボテ=ペーズリー文様についてのリンク
キリム ボテ=ペーズリー紋様
アフシャール ボテ紋様

●生命の樹
生命の樹文様についてのリンク

バルーチ 生命の木紋様 ティムーリラグ 糸杉紋様 クルドソフレ 生命の木紋様

●ヘラティ文様
ヘラティ文様文様についてのリンク

バルーチ ヘラティ紋様

アフシャール ヘラティ風モチーフ

部族の毛織物の文様について7.(パジリク絨毯の発見)

パジリク絨毯の文様について
●パジリク絨毯の発見 ~死者への贈り物~

現在最も有名な絨毯はこのパジリク絨毯ではないでしょうか?
1949年南シベリアのアルタイ山中のパジリク渓谷でロシア人の考古学者ルデンコによって発掘された2mx1.89mの絨毯は、氷のなかにサンドイッチのように入っていたため、パイルの状態など保存がとてもよく、それまでの絨毯研究に衝撃を与えた歴史的発見となりました。

パジリク絨毯

パジリク絨毯(復元図)

パジリク絨毯(復元図)スキタイ族の部族長の墓から出土したこの絨毯は、その後の調査でなんと2500年前のものということがわかったのです。日本の埴輪などと同様に族長の死後にも、快適な生活を願い埋められた物なのでしょう。
シベリアという気候から、堅い氷の中に閉ざされていたため墓泥棒や酸化などの風化から2500年も守られてきたのです。

この奇跡的な発見にはいくつかの偶然が重りうことで起こったと考えられています。
スキタイ(ギリシア語)=サカ族は黄金を用いた装身具を製作したことでも有名ですが、族長の古墳にはそうした金製品が埋蔵していたと考えられます。
墓泥棒が侵入し墓に穴を開けた、その後大雨が降りその穴から大量の雨水が流れ込み、シベリアの寒さで凍結した。
いくつかの偶然が重なることで、冷凍保存が自然的に行われたと研究者の間で考えられています。
同時にフェルト製の馬具、装飾品発見されました。美術的にも大変素晴らしい世界が2400年前に存在していたことが伺えます。

この絨毯の文様の面白さは、周りを取り囲む28頭の馬に乗った人のモチーフです。

馬に乗る人々(鞍に違いがある)

ペルセポリス遺跡のレリーフ(アケメネス朝イラン)

また、その内側にある立派な角のトナカイと中央部分の繰り返しの花弁のようなモチーフです。
発見者であるルデンコを始め、発掘当時は同時代のアケメネス朝ペルシアの伝統にそったものと考えられていました。
確かに中央部分のモチーフはイラクのニネヴェア遺跡の石のレリーフに近く、馬に乗る人々もペルセポリスのアパナダ遺跡(公式会見の間)のダァリウシュ王への貢物を届ける行列に似ています。

しかし、その後の研究により当時この地域を支配していたと見られるスキタイ族=サカ族の族長ためにどこかの遊牧系部族によって織られたのではないかという説が有力になっています。現在はセントペテルグブルグにあるエルミタージュ美術館に保管されていますが、予約していかないと実物を見ることは難しいようです。特に最近では絨毯を所有しているロシア系の研究者達の間でトルクメン族が絨毯の製作に深く関わったのではないかという論文が発表されています。この研究は素材および、染料の化学分析、また織りの構造に関する分析などです。

1960年以降中央ユーラシアの草原の遊牧民研究が盛んになるに従ってこの地域でスキタイ族の高度な文化が見直されたこともあります。
部族絨毯研究家のブライアン・マクドナルド氏はこの絨毯のデザインはアケメネス朝の影響を受けたことは疑いないが、当時中央アジアには高度な絨毯を織る工房があり、この絨毯を彩る紫がかった赤の色が茜ではなく、ケルメス染料によるものであることがその証拠であるとしています。このケルメスによる染色は当時栄えていたイラン高原のものでなく、より北方の草原地帯のものであるというのです。
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フェルト製の装飾品(馬に乗るサカ族)

フェルト製鞍

また絨毯研究界の大御所である、イギリス人のJ.Tompson氏とドイツ人のH.Bommer氏も染料の科学的分析によりペルセポリスなどのイラン南部ではなく北方騎馬民族系の人々によって織られたののではないかという見解を示しています。同時にかなり高度な技術で織られていることから定住した職能的技術を持つ人々によって献上品として織られたのではないかと考えているようです。

確かではないのですが、アレクサンダーの末裔ともいわれる、コヒスタン地方の山岳部族やアフガニスタン北部のトルクメン族が多く住む山岳地帯の地帯の小さな村などでも、つい最近までケルメス染めが見られたという話があるようです。
また、ジェームス・オピエ氏もサブボーダーに描かれているトナカイの表現がルリスターンの青銅の鹿のモチーフに似ていることから、遊牧系部族達の発想によるものではないかと想像しています。

ボーダーにはトナカイもしくは鹿の脇腹の部分に特徴的なパターンが見られますが、これらは部族的な感性を持つ人が描く動物像ではないかと考えているのです。

トナカイとファロー鹿

また注目すべきモチーフは、メインボーダーの馬と人です。フェルトと思われる鞍掛けが丹念に描かれていますが、この鞍掛けの文様が一頭ずつ微妙に違っていて様々な部族を象徴的に表しているようにも見えるのです。

馬に乗る人々(ボーダー部分)

現在にいたるまで部族の毛織物においても、サドルバックなどに象徴的な部族の文様を見ることができます。
この絨毯は10平方センチに約3,600ノット(対象結び)を数える細かい技術の高さと洗練された装飾性をもっています。
つまり、パジリク絨毯の発見はそれ以前から高い芸術性と技術を持った絨毯文化があったことを証明してくれたのです。

部族の毛織物の文様について6.

≪古代遺跡から見えるモチーフ≫

ルリスターン青銅器と動物文様


イラン西部イラクとの国境付近を南北に広がるザクロス山脈のイラン側中腹に、紀元前10世紀ころから最古の青銅器を生産したと考えられている、ルリスターン文化が興りました。世界最古の青銅器文明として剣や馬具、装飾品など多数の青銅器が出土しています。
祭祈用の呪具と考えられている動物をモチーフにした青銅器は現在でも、謎の造形芸術として現在でも研究が続いています。
解ってきたのはこのあたりには部族集団が存在し、近隣を移動しながら生活を送っていた可能性があるということです。遊牧民としては、高度な技術水準とお墓などへの(埋葬品)が多数出土していることから、定住する家を持ちながら季節によっては家畜を移動させる半遊牧・半定住民の存在も考えられます。同時期に出土したある青銅器が馬具としての機能を持つことからも家畜を所持していた人々の存在が考えられます。

動物の頭の青銅器

頭に鳥を乗せた女性像

また、オピエ氏は相反する方向を向いた動物の頭の青銅器に注目しています。
非常によく似たモチーフをルル族のサドルバックのなかに見つけることが出来るからです。
ある研究者はこの形状を動物が噛み合う姿が無理に頭を反対に向ける=磁石の両極が背きあう形になぞられています。
そしてこのモチーフは形を少しずつ変えて様々な部族じゅうたんや毛織物の中に表されています。
ザクロス山脈近郊のルル・バフティヤリー族はもとより、ファルス地方のカシュガーイ族やアラブ系のハムセ族にも、また、だいぶ離れた中央アジアのトルクメン絨毯の中にも見ることができます。頭の向きは同方向ですが、主にメインカーペットのギュルのなかに出てくる、角のある動物です。エルサリ族、ヨムート族など珍しく他支族に共通して表現されるモチーフです。
またシルクロードの各地から出土する「形象土器」という特有な造形の杯があります。
馬や牛、羊、山羊、鹿、鳥、ライオンなどの動物や人そして神話上の怪物など形は様々です。水やワインなどの液体を入れる焼き物の容器です。
これらの動物は当時の生活の中では比較的身近にあったと考えられています。

 

リュトン 動物の頭の杯

鳥型壷 土器

シルクロードの考古学者の山内和也先生は「シルクロードの土と形」のなかで「動物の持つ豊饒性や多産性、生殖力、神聖さに対する人々の思いが、このような造形性を生み出したものと考えられよう。動物を模ったこのような土器に入れられた水や酒を飲むことによって、その動物のもつ神秘な力を取り込もうとしたのであろう。」と述べています。
リュトンという「角杯」などは、頭の部分が動物で胴体が角状なため下に置くと液体がこぼれてしまいます。注がれた飲み物は飲み干すしかありません。
通常の器ではなく墓などに埋葬したか、何か特別の儀礼用のものなのではないかという想像がふくらみます。
これらの土器の多くはイラン西部から北西部で出土していますが、このあたりをテリトリーとしていたと考えられているルル族やバフティヤリー族の毛織物には現在でもこの動物の頭をモチーフにした文様がよく見られます。

鳥型水差し ラスター イラン

鳥の頭型 水差し イラン

この動物の頭が何を意味するのか、時間をかけてゆっくりと考察したいところですが『TRIBAL RUGS』の中でJames Opie氏は西アジアのほとんどの部族が共通して『動物の頭モチーフ=アニマルヘッド・コラム』を様々な生活道具としての毛織物に表現してきたことを丁寧に紹介しました。そして多くの部族の共通する幾何学的なモチーフに織り込まれたトライバルラグからのメッセージの解読を試みようとしています。その文様が具体的な何か(サソリとか櫛とか)を意味するのか、それとも数千年歴史を持つ遊牧系部族が最も大切にしてきた普遍的なメッセージが籠められているのか・・・。
想像力を豊かにしながら、それを紐解いてゆくのがトライバルラグの上でくつろぐ楽しみの一つといえるのかも知れません。

動物の頭を頭上に乗せる人

ルル族のサドルバックの一部

参考文献:「シルクロードの土と形山内和也著 シルクロード研究書展示会図録より≪写真も≫
HALI Magazine Special Issue [persian tribal rugs] James Opie

部族の毛織物の文様について5.

≪部族の象徴ともいえるサドルバック≫
サドルバックは遊牧民には欠かせない移動用の袋ですが、これらは時代が変わった現代の都市生活にも残されていて、イランやアフガニスタンを走るオートバイの荷台にはほとんどサドルバックが付いています。部族の特徴的な文様はありませんが、それぞれがお気に入りの色彩や家族の名前などを
織り込んだりしているのを見る事が出来ます。
そのような観点からもサドルバックは遊牧民をルーツに持つ西アジアの人々には自分達のアイデンティティとも言える大切なモノであったことが想像できます。

ルル パイル サドルバック

ルル/バフティヤリー スマック ホーリジン

シャーセバンパイル ホーリジン

カシュガイ パイル ホーリジン

アフシャール パイル ホーリジン

タイマ二 パイル ホーリジン

≪サドルバックには部族の特徴的なモチーフ・色彩・技法などが色濃く表現されます。≫
アナトリア遊牧民はどちらかというと、地域による特色によって分類されていますが、イラン~アフガニスタン~中央アジアにかけては部族集団による分類がわかりやいようで部族や支族単位での分類が進んでいます。
クルド・シャーセバン・カシュガーイ・バルーチ・トルクメンなどなど、かなりの部族に分類されさらに、近隣部族の交流による違いやサブトライブ(支族)にも分かれるため、研究者によりその分類には多少の違いがあるようです。
また、文章による記述や伝承が少なく移動を繰り返してきた人々なので、よく解らない事も多いかと思われます。
例えば古いタイプのペルシア語を話すルル族とバフティヤリー族の区別は特に難しく遊牧系の人達の袋物などは、ほとんど見分けがつかないほど似ています。もともと同族であるため分類することに無理があるかも知れないのですが、違う部族として分類される事が多いようです。
イスファハンなどの都市に入り都市化して、ペルシア絨毯などに影響をうけ、また影響を与えた?住したバフティヤリー族(チャハルマール)の絨毯などはルル族とは違った特徴が見られますが…。オピエ氏はこのバフティヤリー・ルル族の毛織物を熱心に研究し独自の分析を行いました。

部族の毛織物の文様について4.

≪遊牧系部族の存在≫ ~サドルバックから見る部族分類~

トライバルラグ James Opie著

部族絨毯のバイブルともいえる「トライバルラグ」のなかでジェームス・オピエ氏はトルコ系、ペルシア系やアラブ系など民族や部族を超えて共通したモチーフが見られると述べています。

もちろん文様にはそれぞれの部族集団の違いを表すための、藩主=族長の象徴的な家紋のようなモチーフが織り込まれています。
これらは特にサドルバックなどの袋物に象徴的に表現されています。
バック類に表現されるモチーフは、移動の際に定住民の居る村や町を通りかかったり、他の部族と接触したりする際に、自分たちの財産である家財道具の所有者をはっきりと示すものとなるでしょう。

ヨムート トルクメン ホーリジン

バルーチバードモチーフ ホーリジン

シャーセバン キリム ホーリジン

アゼルバイジャン キリム ホーリジン

ユンジュ アナトリア へイベ

シャーセバン ジジム ホーリジン

≪サドルバックには部族の特徴的なモチーフ・色彩・技法などが色濃く表現されます。≫
サドルバックのフォトアルバム

例えば、トルコ系部族の雄トルクメン族は、細分化された支族集団(サブトライブ)がはっきりと区別できるような明確なメインギュル(家紋のようなモチーフ)やボーダーのモチーフにも集団の独特なモチーフを持っています。他の部族にしても、それぞれの毛織物に部族の誇りを凝縮したようなモチーフや特有な色彩感覚をもっています。当然、部族じゅうたんの研究家たちは部族の違いによる比較分類を続けてきました。1970年ころから本格的に始まった部族絨毯研究は、欧米の絨毯愛好家により急速に進みました。それまではルルとバフティヤリー族の違いや、南イランの部族分類などはそれほど明確ではなく、イラン南部ファルス州のシラーズに集まるトライバルラグはほとんどカシュガイと呼ばれていて、現在のようにハムサやアフシャール族との区別は曖昧でした。またコーカサス絨毯の評価が高く南コーカサスのアゼルバイジャン地方の毛織物の中でイランとのボーダーを移動ずるシャーセバン族のものも多くはコーカサスおよびアゼルバイジャンと呼ばれていたようです。
これらの出所がはっきりしない、共通点の多い毛織物を分析・分類したのは欧米のトライバルラグブームを支えたコレクターとその人たちにキリムやラグを供給したラグディーラー達でした。

部族の毛織物の文様について3.

≪トライバルモチーフ(先住部族の美意識)≫

洞窟壁画(最古のアート表現)

洞窟壁画(ショービエ)



最も原初的芸術表現として、石器時代の洞窟に見られる手形などのサインや美的完成度の高い動物などをモデルとした壁画など、何かを伝えるための痕跡は人類の美術史のうえに膨大な足跡を残してきたと思われます。

言葉が始まり、文字が生まれ、伝達の可能性が急速に広まったものの私たちは依然としてモチーフのなかから、多様なイメージを想像することが出来るのです。
遊牧民の毛織物の中に見られる洗練されたモチーフだけに限らず、アフリカ、北・中央・南アメリカ、オーストラリア、ユーラシアの大陸および環太平洋の島々など、地球上のいたる所で先住民族達は大量のメッセージを残しています。
もちろんそれらは自然と共存共栄してきた彼らの美意識の結晶でしょうし、彼らが生きていくなかで何を最も大切にしてきたのかを雄弁に物語るものでもあります。

洞窟に残されたモチーフ

ティカノ族のトライバルモチーフ

自然環境により素材や用途、目的は違っても、効率や合理性では測れない美の追求が見てとれます。
遊牧民族の毛織物には、あくまでも生活のための道具でありながら、用の美を超えた装飾性が見られ、どう考えても作業には不具合な過剰な飾りをたくさん付けています。
私たちが、快適、便利、効率を常に追い求めているのとは対極的な価値観をもっているかのようです。
何が彼らにそうさせるのかを知りたくても、そのモチーフそのものが生活の中に溶け込んでいる部族達とかけ離れた生活環境に居ては、その真の意味は容易には見えてきません。
先住民や遊牧的部族達は、超自然的な存在を信じ、そのイメージを見ることのできる人(異界の存在を確信する人=シャーマンなど)を信仰する世界に生きている人々と言い換えることが出来るかもしれません。異界を信じ、その中に畏れと共に多くの根源的なビジョンを見ることができるのでしょう。

アフリカのコンゴのクバ王国ショワ族やブショング族のラフィア素材の織り布に関してのジョークとも聞こえる逸話があります。
この地域に最初に入った文明の道具オートバイについて、彼らが興味を抱いたのが、オートバイそのよりも、通り過ぎたあとに土の上に残されたタイヤのパターンであったといわれています。
このショワ族やブショング族達は一般的に「草ビロード」と呼ばれる、刺繍やアップリケ、絨毯のようなパイル構造等、様々な技法を用いた儀礼用の布を織ることで知られています。
この芸術的な布は、根気のいる作業もさる事ながら、その根源的で摩訶不思議なモチーフはクレーやマチスに多大な影響を与えたといわれる独創的なセンスを持っています。

クバ王国ラフィア(絞り入り草ビロード)

クバ王国ラフィア布(草ビロード)

クバ王国ラフィア布(貝刺繍)

クバ王国ラフィア布(モダンデザイン)

XX

不規則的な規則性を持ち、まるでアフリカ特有の自由なリズムのなかにアドリブ感溢れるユニークなパターンをしっかりした伝統をベースに織られた不思議な「ゆらぎ」を持つ布でもあります。この刻み込まれたリズムのような「ゆらぎ」感は、部族の手仕事全体に共通するもので、作為的に柄をずらしたりする、てらいを狙った意図的なものではないように思えます。

この「ゆらぎ」は、遊牧民のキリムや絨毯にもよく見られるもので、イランのカシュガーイ族の毛織物にもよく見られます。織り機が水平なので、織りあがった毛織物の上に乗ったまま織り続けるので、微妙なゆがみが出るともいわれています。これが見るものにとって妙に気持ちのやわらぐ、「ゆらぎ」に感じられることもあるようです。

カシュガイ族の水平機(キリム)

坂本勉先生は「ペルシア絨毯の道」という本のなかで、オーストリアの精神科医フロイトが診療室のベッドの上にカシュガーイ族の絨毯を敷いていたと記しています。また、フロイト自身が「遊牧民の絨毯には患者の心を解きほぐす何かがある。」と言っているとあります。
この部分を読んだ時に、先住民や遊牧民の手仕事の本質がこの辺りにあるのではと、大変に感動しました。

もしかしたら、色彩、モチーフ等と共にこの微妙なゆらぎが人間の心の潜在的な部分に入り込み、癒しを与えてくれるのかも知れません。

参考文献
港 千尋著 『洞窟へ』
中沢新一著 『カイエソバージュⅤ』
渡辺公三・福田明男著 『アフリカンデザイン
坂本 勉著 『ペルシア絨毯の道

部族の毛織物の文様について2.

≪遊牧民の暮らしと毛織物≫
西南アジアの遊牧民の優れた毛織物収集家で、現地でのフィールドワークに一生を捧げた松島きよえさんもバルーチ族の神秘的な色に魅せられていらしたようです。
風のように生きる彼らの生活に溶け込み調査と研究を続け、日本で草分け的存在として遊牧民文化を紹介されていましたが、残念なことにこれからという時にインド西部でバスの事故により他界されました。彼女が神秘的なバルーチの毛織物に魅せられたのは言うまでもないでしょうが、バルーチ好きの理由のひとつに、彼らの客人に対する徹底した歓待をうけられた経験がおありだったのではないでしょうか?

松島コレクション

和光大学で語学を教える村山和之先生はパキスタンのバローチスタン州都のクエッタで現地語を習得し、バローチ人の民俗をこよなく愛し、民俗音楽調査などのフィールドワークを通じて彼らの文化を紹介しています。私も村山先生の先導で外国人のあまり入らないバローチスタンの奥地を同行させてもらったのですが、バローチ族の伝統的慣習にそった洗練された好意を十二分に堪能しました。

二チャラ村の演奏会


バルーチ族の学師達 ニチャラ村にて


商業的行為をあまり得意としない彼らの生活の中から生まれた音楽や毛織物の美しさは、私たち都市生活者の硬直した意識を刺激し、常に時間に追われるようなハイスピードなマインドをニュートラルに戻してくれるようでした。
キリムや絨毯を織る遊牧民の中では、ここで紹介したパシュトゥーン族やバルーチ族のほかイラン北東部のクルド族や南部のカシュガーイ族、ルル族、アフシャール族等など、季節的な遊牧生活であるにせよ現在でも遊牧を続けています。

ギダーンバルーチ族のテント


過酷な自然環境のなか、生まれたての子羊や家財道具一切をラクダやロバなどの乗り物だけで、300キロにも及ぶ移動を繰り返すのはなぜだろうと、思うことがあります。
もちろん家畜の食料となる草を求めての移動に違いはないのですが、移動することによって得られる環境の変化がその理由の一つかもしれません。

バローチ遊牧民の家族

絨毯に仕事を始めてから移動することが多く、展示会の季節である秋から冬にかけては1週間ごとに転々と会場を移動します。またオフシーズンには仕入の旅に出かる事が多いのですが、この移動がひとつの楽しみとなっていることに気がつきます。

糸をつむぐパシュトゥーン族の女性 『写真松島きよえさん』

年々世界各地へ旅行者が増加していることでもわかる様に、現代人は日常の生活から離れた緊張とリラックスを楽しむことが大きな楽しみの一つになっているようです。
彼らにとって私たちにとっても移動とは根源的な、人間としての欲望のひとつなのかもしれません。
しかし現在ここで紹介したような純粋な遊牧生活は、消え行く方向にあるようです。このところの地球温暖化に伴い乾燥化が進み遊牧に適した牧草地の減少は驚くほど進んでいます。2001年秋に訪れた時アフガニスタン~パキスタン国境地帯には3年間まとまった雨が降っていないという状況でした。
環境を汚染する排気ガスや廃棄物をほとんど出さず、家畜の糞さえも燃料にしてきた彼ら遊牧民にとっては皮肉なことではありますが、これが現実なのです。

香りの峠(カラート~ニチャラへ)

今後は近隣の中国やインド、地下エネルギーで潤う近東の国々の民主化?近代化により加速度的に進むであろう環境破壊はもう誰にもとめられないのでしょうか?
松井先生も「いったん進み始めると猛烈な速度で行われる現実の変動に先を越されてしまう前に、今日の遊牧社会とその変容について、具体的で詳しい研究が必要である。」と述べています。

部族の毛織物の文様について1.

≪遊牧という生活≫
西南アジアの遊牧民に詳しい松井健先生は遊牧民を「一年の一定期間簡単な持ち運びのできるテントのような住居に住んで、家畜と共に移動し、家畜を中心とするその牧畜生産物によって、主に生活をたてている人たち。」と定義されています。

羊の群れ

遊牧とは英語では一般に「ノマデイズム」と訳されます。
しかし「ノマド」とはどちらかといえば遊動を意味する言葉のようで羊・山羊・ラクダ・牛馬・トナカイなど、動物を家畜化するという意味での遊牧は「パストラリズム」のほうが適切のようです。
太古にマンモスや大型の哺乳類を追って移動しながらの生活や野生のバァッファローの群れを追いながら移動していた人たちこそ本物の遊動民「ノマド」と呼べるかもしれません。草食動物を家畜化し乳とその加工品や肉を利用し経済活動に結びつける人たちが遊動と牧畜を併せ持つ遊牧民といえるようです。
食料となる羊や山羊をたくさん飼っていても、それらの肉を常食すれば、とたんにバランスが崩れしまう。
ユーラシア遊牧民研究の先駆者梅棹忠夫先生は羊などの家畜を銀行に預けた元金であるというユニークな例で説明されました。
羊を毎日食べ続ければ、いつか残高はゼロになる。乳製品は利子のようなもので、元金を残したままで生活が続けられます。
もちろん、実際にそれだけで生活するのはかなり厳しいようで、家畜から取れる毛・毛皮・肉・骨などのあらゆる素材を村や町に定住する人々とバザールなどで交換してきたようです。

カーディング 羊毛をすく

例えば、アフガニスタンのパシュトゥーン族はカラクルと呼ばれる羊群を飼っています。この羊は主に毛皮をとるために飼われ、雄の子羊の毛皮を主に帽子用に加工します。
新生アフガニスタン大統領のカルザイ氏がいつも被っているのでお馴染みですが、子羊だけの持つ柔らかく艶のあるクルクルとカールした羊毛が男たちの勲章のようで、かなり高価な物ですが、人気が高く換金性が良いようです。
イランのマシュハドに毛皮屋の知り合いがいますが、自慢げに最高級のカラクル羊の帽子や、何頭分ものカラクル羊毛を使った贅沢なコートなどを盛んに勧められたことがあります。
絨毯やキリムなどで使う羊毛と違い、また伸びる毛できる物ではないので買ったことはないのですが・・・・。
主にアフガニスタンでは、このカラクル羊の流通は、パシュトゥーン族によって独占されているようです。
パシュトゥーン族のように大きな収入源を持たないバルーチ族などの遊牧民の生活はさらに厳しく、例えば羊毛で織った毛織物などを流通させたり、農場や井戸掘りなどの単純作業による、いわゆるアルバイト的な収入を得ているようです。
この代表例として、松井先生はイラン~アフガニスタン~パキスタンに生活するバルーチ族を研究調査されています。
個人的にも、ここ十数年バルーチ族の毛織物に魅せられ、収集と調査のため何度か現地を訪ねています。

パシュトゥーン族 クエッタ

ギュルとはなにか?(部族意識の結晶)3.幻のサロール族

トルクメンギュルについて途中になってしまったが、トルクメンには特に絨毯を織り続けて来たいくつかのサブトライブ(トルクメンの中の支族集団)の存在があることが知られている。まずは前回紹介したテケ族。彼らは中でも特に良く知られたサブトライブであり、戦闘的にも騎馬戦による圧倒的な強さを持っていたことは紹介した。テケ族が線が強くシャープできりっとしたギュル文様やボーダーモチーフを織るのに対してトルクメンマニアやコレクターにとって憧れであり最も入手が難しいのがサロール(サルール)支族である。19世紀までは中央アジアのトルクメニスタン~カスピ海東側地域で遊牧生活を送っていたようだが、テケ族との部族間抗争に破れテケ族に吸収されてしまったというのが、多くの専門家の意見である。個人的にもこのサロールはまさに幻ともいえる存在で、本物を見たのは、1993年にニューヨークのサザビーズオークションに出品されたMr.&Mrs.Jon Tompson のコレクションただ一回だけである。
特にメインカーペットとして知られる敷物としての大きめの絨毯はたいへんに貴重で、絨毯関連の専門書にサロールのメインカーペットとして紹介される絨毯はほぼ同一のものである場合が多い。

サロールメインカーペット by JBOC Attribution oroental rugs


その他に有名なの絨毯はこのサロール支族のエンシと呼ばれるテント内のカーテン(プルダ)として知られる壁掛けもしくは間仕切り、テントの入り口隠しなどに使用される、窓枠デザインの絨毯である。
特にサロールのエンシは大変に貴重なもので、これまでに世界で発見された物はおそらく7枚程度といわれている。この貴重なエンシをJon Tompson氏は所有しているのは周知の事実で、皆が待ち望んだ1993年のオークションにその幻のエンシは出展されなかった。ちなみに数年後に他のオークション会社から出展されたサロールエンシはなんと200000$当時のレートで2千数百万円で落札された。知る限り最高額のトライバルラグとなった事を良く憶えている。その気位の高いデザインセンスと奥深い色彩は、それだけの価値があると思う。
ギュルから話がそれてしまったが、サロールにはメインラグやエンシ以外の袋物は希少な事に違いはないが、ごく稀にオークションなどに出展される。中でもジュワルという大型の袋物、トルバやジャラールと呼ばれる小型の袋物にはいくつかのバリエーションのギュルが表現されることが多い。
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サロールジュワル by JBOC Attribution oroental rugs


この外側に雪の結晶文様のように尖ったモチーフが向かっているギュル文様がサロールのジュワルギュルのひとつの特徴のようである。このサロールギュルは近隣を移動うするサリークと呼ばれるサブトライブ(支族)とたいへん似ているのでまぎらわしい。サリーク支族もサロール同様最近は絨毯や袋物が激減している事もありこの二支族の分類はトルクメンのサブトライブを見分ける上で最も難しい作業かも知れない。最もこんな分類をすること自体かなり特殊な世界であり、絨毯好きにしか解らない、マニアックな楽しみであるのだが・・・。

サリークトルクメン ギュル文様 BY Jbc

写真はすべてhttp://www.spongobongo.com/00eq9967.htm Turkmen Rugs GUIDE からの引用。
サロールギュルに関しては。トルコテックに詳しく書かれています。http://www.turkotek.com/attributes/salor/slimg.html#sl2gul

ギュルとはなにか?(部族意識の結晶)2.

ギュルモチーフに関しては、あまりに多くのギュルが存在するので紹介しきれないが、まずはその王道=元祖であるトルクメン族のギュルについて。
トルクメン族はこれまで度々紹介してきた。中央ユーラシアを移動する騎馬民族で今から1500年以上まえからユーラシア大陸を東西に移動してきた遊牧民の雄である。先住のアーリア系遊牧民や定住民との衝突や交流を重ねながら、12~13世紀には突然西方に大移動し当時のアナトリア半島を席捲し、セルジュク王朝を打ち立て、現在のトルコ建国の基礎を築いたことは有名である。
そんなトルクメンであるが、当時の戦闘において圧倒的な力を保持していた。その理由はいくつかあるが、第一は千里をかける駿馬アハルテケを有していたことだろう。同時にそれまでは馬車による直接戦から、単機による騎馬戦と、両手を離して弓を射る高い戦闘能力が革命的な戦術であったらしい。
現在のトルクメニスタンにも馬大臣という存在があり、大統領やお偉いさんの馬だけを管理しているという機関が機能しているようだ。

アハルテケ

アハルテケ

テケギュルの馬飾り

テケギュルの馬の背あて

上4枚の写真は中央アジアトラベラーH.Jさんの写真を拝借しました。

この馬とトルクメン絨毯は切っても切り離せない関係にありますが、その中でも最も勇敢で戦闘的な部族として知られるのがテケ族です。

そして中でも19世紀後半から20世紀にかけてのテケギュルは縦方向にギュッと凝縮されたように変化します。
前回ご紹介したギュルとは縦方向に圧縮されたような変化が生じます。

テケギュル

 
これは典型的な19世紀中ごろまでのテケギュルです。

このようなトルクメンの絨毯ばかりを集めた展示がシルクロードの終着点奈良にて3日間限定で開催されます。
どうぞお見逃し無く。

trukmen rug

 

2010年の展示会 「Turkmen Rugs ~トルクメン族の赤い絨毯展~」 主催 福山泰央さん
<日時> 2010年2月12日-14日 10時-18時くらい
<場所> ギャラリーまつもり 奈良市橋本町31 
<展示品> トルクメン族の赤い絨毯を中心にいろいろなトライバルラグを持っていきます。普段使いにお勧めできるアフガンの数十年前の絨毯の他にアスマリク、ホースカバー、ジュワルなど日本で実物を見る機会がほとんどないコレクションピースも展示します。展示品は販売します。

『会場では絨毯好きの皆さんとの絨毯談義などが出来たらと、楽しみにしています。』